斗南藩の歴史(20)優れた人材

八戸の港の基礎を築いた、元八戸市長、 神田重雄も斗南人。          (八戸港を見下ろす館鼻公園に銅像とお墓がある)
八戸の港の基礎を築いた、元八戸市長、 神田重雄も斗南人。          (八戸港を見下ろす館鼻公園に銅像とお墓がある)

       斗南藩歴史研究会 渡部昭治

 

柴 五郎・四郎(茂四郎)

 柴家は、世禄3百石の中級武士であった。会津戦争で柴家の婦女子は自邸で5名自刃している。
 末弟五郎は当時11歳の少年であったが、男子であるため、数年後に藩公に仕えることができるという祖母の計らいで、田舎に出されて難を免れた。
 兄太一郎は移住後下北郡長をつとめ、弟茂四郎は作家となり、米国留学より帰国して、農商務次官となった。五郎は上京して陸軍幼年学校、陸軍士官学校卒、同士官学校卒、陸軍大将に累進、台湾軍司令官となった。五郎の少年時代を辿ってみる。鈴木喜代春(青森師範卒)は「柴五郎ものがたり」で、次ぎのように書いている。
(概要)
 季節は秋から冬に移った。陸奥湾から吹いてくる風は、ばたばたとムシロの障子を吹き抜けていく。部屋の中は氷点下10度、15度と下がる。五郎はとうとう風邪をひいて動けなくなった。衣類がなく、米俵に入って暖をとった。炭はなく、木の燃えたあとの消し炭を炭にした。臼を借りて玄米を粉にし、大豆や馬鈴薯を入れてお粥を作る。これが毎日の飯であった。もはや開拓の気力も体力もしぼんでしまった。火山灰の積もった下北の原野に立って大きなため息をついた。
 そんな時、五郎のところに一つの明るい知らせが入った。それは五郎を青森県庁の給仕にする。というものだった。真先に五郎の頭に浮かんだことは、これで餓死しなくてもすむのでは、ということだった。
 五郎は13歳になっていた。県庁から路銀(旅費)として一両もらっていた。月給は2分(後で2円になる)。
 やがて野田大参事(知事)の家に引き取られ、勉強もすることができた。五郎の働きは県庁でも評判になった。五郎は野田大参事に頼んで上京することになった。大蔵省の役人の市川正寧(まさやす)の家に世話になった。「陸軍会計」になっていた野田から「急いで来い」と呼び出しがあって「陸軍幼年学校の試験があるから受けてみたら」という。五郎は声をのんだまま動けなかった。11月に、和田倉門外の兵学寮で試験を受けた。1873年(明治6年)3月、陸軍幼年学校の合格通知が五郎のところへ届いた。山川家ではフランス式のズボン、帽子、靴を買ってくれた。早速野田の家へ挨拶に行くと、自分のことのように喜んでくれた。「よかよか」と喜ぶ野田をみて五郎は「ありがとうございました」と叫んでぼろぼろと涙を流してしまった。
 五郎は軍人になっても「人間を信じる」「嘘をつかない」「人をだまさない」を生涯にわたって通した人である。五郎は中国人であれ、日本人であれ、人間皆平等という考えをもっていた。五郎が陸軍中佐のとき、武官として中国の日本公使舘に勤めていた。
 そこで起こったのが義和団事件であった。五郎はあくまで血を流さないで収めることに努力した。日清戦争に負けた中国は、弱い国と見られ、外国では無理に領土を借りた。これを追い出す運動が義和団であった。争に負けた中国は、弱い国と見られ、外国では無理に領土を借りた。これを追い出す運動が義和団であった。この事件で中国人は店も出せず、町も歩けなかった。ただし、日本が分担した地域では普段と変わりない。これは五郎が日本兵は中国人の店から物を買うことを禁じて中国人の店を守ったからであった。日本兵の乱暴や掠奪は皆無であった。ここでも五郎の人間を信ずる心が発揮された。

池上兄弟

 池上四郎は、戊辰戦争のときは12歳で、明治3年に兄三郎と共に八戸の山奥に移住した。食糧も衣類もない悲惨な生活であった。父武輔は常に「お前達は故郷の安部井先生や高津先生が日新舘で説かれたことを基に勉強するのだ。武士の道は刻苦、忍耐と魂の錬磨である」と訓育したという。
 四郎は、横浜正金銀行の柳谷卯三郎の書生となり、便所掃除、風呂焚きをして警視庁巡査となった。44歳のとき、大阪府警察部長となり、大正2年、大阪市長に推され三期10年勤め、不世出の市長といわれた。その後朝鮮総督府の政務総監を勤めたが、昭和四年73歳の生涯を閉じた。
 大阪の天王寺公園には「前大阪市長池上四郎君之像」という高さ68尺もある銅像がたっている。尚、兄三郎は函館控訴院検事長をつとめている。

畑 兄弟

 畑英太郎、俊六兄弟の両親は斗南に移住したが、後北海道へ渡った。兄弟は陸軍に入ったが、二人は陸軍きっての俊才と謳われた。 兄英太郎は陸軍大将。畑俊六といえば戦時を経験した方であれば支那派遣軍総司令官となった彼の名を知らない人はないだろう。

 

青森県の政治家

 元青森県知事、北村正哉。元八戸市長、神田重雄。元三沢市長、鈴木重令。元むつ市長、杉山粛。
現十和田市選出衆議院議員、江渡聡徳。現八戸市長、小林眞。など歴々の政治家がいる。

 

明治に調査された元斗南藩の名簿に、下記の人々の名前が記載されている。現在は青森県立図書館にあるが、直系の方でないと閲覧できない。

 

・元会津藩 家老 諏訪伊助 。明治6年8月に会津若松に帰っている。

 

・元八戸市長 神田重雄の先祖。住所は八戸市の湊になっている。

 

・現八戸市長 小林眞の先祖

 

   (神田・小林家ご親族様から許可を得て名簿の写真を公開しています)

 

 

武具は小林家に残っている(左) 名簿(中・小林家) 名簿(右・神田家)
武具は小林家に残っている(左) 名簿(中・小林家) 名簿(右・神田家)